「授業は仕事全体の三分の一くらい」というのは実感できるよ。学校にいる間は、生徒の対応に追われ、大小のミーティングに振り回されてるもの。授業の準備などという個人的な作業はすべて終わってから。集中力のいる教材研究は家でやるって人が大半だろうね。
どこかの統計で読んだけど、それでも欧米に比べて生徒一人当たりの教師の数は遜色ないと。じゃなぜ日本の教師は忙しいのか。仮説だけど、教育委員会などにプールされているいわゆる「授業をしない教師」の数が多すぎるからではないかと。そういう意味ではすべての教育資源の配分の見直しをどこかでやらないといけないような気がする。
学校で起きていること 週のはじめに考える
2009年5月18日
未曾有の経済危機、雇用不安の一方で、医療や福祉、教育も大変な事態に陥っています。その一つの学校現場で何が起きているか。その実情を報告します。
学校の先生は本当に忙しい。名古屋市の小学校教員岡崎勝さん編著「がっこう百科」によるとこんな具合です。
「授業は仕事全体の三分の一くらい。時間がないから、宿題の丸つけや日記の添削、連絡帳の返事書きなどは給食と並行してやっている人が多い」
さらに「トラブルがらみの生活指導、お知らせ作り、業者への発注、親の心配事相談、テストの作成、校内の施設備品の点検修理、畑仕事、そして会議、会議…」。
言葉の交換なく断絶
近ごろは、何でも会議と報告書だそうです。子どもの顔を見ながらゆとりをもって、話を聞いてやりたい。じっくりと子どもと付き合いたい。それがどんどん難しくなっていると言います。
では、子どもや親たちの現実の姿はどうでしょうか。岡崎さんは雑誌「現代思想」四月号でこう書いています。
まず、子どもたちです。「時間を守る」ことができない子が目立ちます。学校五日制で土日に学校のモードから家庭のモードにシフトしてしまい、学校という制度を維持する重要な「時間を守る」ことに身体も心も変換しないので、月曜日は混乱し、時間厳守の指導が難しくなるといいます。
また、「最近の子どもたちは、言葉を教員と交換できないことがある」。つまり「微妙」「ムリムリ」「別にぃ」「うざい」「キモイ」という言葉は、コミュニケーションや関係をつくろうという言葉ではなく断絶の言葉です。こうなると、子どもと教員との間で対話とか指導は成立しません。
最低レベルの教育予算
次に親です。学校から見るかぎり、多くの親は「モンスターペアレント」というようなメディアでつくられたイメージからは遠いそうです。おおかたの親はなんとか親として成立しているし、親としての努力も欠かしてはいません。
こんな例もあります。他人の家へ行って「冷蔵庫を勝手に開けてはいけないのだ」と教室で話したときに、「どうしてですか」と子どもに聞かれ、「そうなんだぁ」と親に言われたそうです。
こういう価値観の多様化に翻弄(ほんろう)され、自明だった行動規範や社会性が、危うくなっていることが今の学校教育を脅かしているのだ、と岡崎さんは指摘します。付け加えて、学校のなすべき教育サービスは子どもに社会性を持たせ、集団生活を送るだけの力と技を身につけさせる教育的営みとしてのサービスなのだと強調します。
ここで思い出すのが、二〇〇七年一月の教育再生会議「第一次報告」の七つの提言です。
(1)ゆとり教育を見直し、学力を向上する(2)学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする(3)すべての子どもに規範意識を教え、社会人としての基本を徹底する(4)あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる(5)保護者や地域の信頼に真に応える学校にする(6)教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す(7)社会総がかりで子どもの教育にあたる
しかし、この提言への手だては尽くされたでしょうか。問題は教育費です。日本の教育費の出費は経済協力開発機構(OECD)諸国の中で国内総生産(GDP)比で最低レベルです。聖域なき構造改革ということで教育費が徹底して削減されました。その代わり、親の教育費の負担は世界でもトップレベルです。
佐藤学東大教授(教育学)によると、戦後すぐの時期、日本が経済的に疲弊していたときの、日本の教育費の国民総生産(GNP)比は世界一だったといいます。この世界一は一九六〇年代まで続いたそうです。
「どのような政治的立場であれ、日本の社会と文化、経済の復興のためには教育が何よりも大事で、無理をしてでも教育に投資しようという意志が、戦後のある時期までの国民のコンセンサスでした」と教授は述べます。これが世界第二位の経済大国になって崩壊し、子どもの貧困に直面しているのが今日の実態だといいます。
二十一世紀の社会には四つの教育課題があるそうです。一つは知識基盤社会、二つ目は多文化共生社会、三つ目は格差やリスクの社会への対応、四つ目はシチズンシップです。こう指摘した佐藤教授は次のように続けます。
未来のための教育投資
「昔の人は志が高かった。いかに社会が混乱して貧困であれ、未来のために教育に投資するのだという志を持っていた」。混迷する今こそその志を取り戻すときではありませんか。
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