Archive for 2009年7月30日


世襲社会の功罪

【2030年】第3部 親を超えられますか(1)小泉よ、お前もか 親以下なら「甘やかし」

2009.7.19 08:00

近づく総選挙を前に、今最も注目を集める政治家一族の4代目が神奈川県横須賀市のホールで壇上に立っていた。神奈川11区から出馬する小泉純一郎元首相(67)の次男、進次郎さん(28)。地元の自民党県議の集会で、300人を超える聴衆を前に訴えた。

「まず私といえば、世襲。この世襲のお話がございますが、やはり結果を出すしかない。実績の全くない男が何を皆さまに買っていただくのか。それは私のこの国をよくしたいという大きな志しかないと思います」

身長は父親より1センチ高い170センチ。兄で俳優の孝太郎さん(31)は177センチで、背格好も兄より父親によく似ている。会場のあちこちで、親の代からの支持者である主婦らが「お父さんにそっくり」「若いころのね」とささやいた。

小泉元首相は昨年9月に政界引退を電撃表明し、進次郎さんを後継指名した。「自民党をぶっ壊す」と叫び、わが国を「構造改革」した張本人が、「親ばかぶりをご容赦いただきたい」と言って地盤を次男へ譲ったことに、国民は「小泉よ、お前もか」と落胆した。それは、「世襲社会」が進むわが国にあって、あまりに象徴的な出来事だった。

政界に限らず

21日解散、8月30日投開票と決まった衆院選では、「世襲」の是非が大きな争点となっている。父親や祖父が政治家である議員を2世、3世議員と呼び、中でも選挙区をそのまま引き継ぐと世襲議員と呼ばれる。いまや衆院議員の3割を世襲議員が占め、麻生内閣の閣僚18人のうち12人に上る。

日本大学の岩井奉信(ともあき)教授(58)=政治学=によれば、ブッシュ前大統領ら2代目政治家が目立つ米国でも世襲議員は5%以下。英国も同様だ。議会制民主主義の国ではないが、中国でさえ共産党幹部のうち「太子党」と呼ばれる高級幹部の子弟は3%という。

ひるがえって、わが国の世襲は政治家のみにとどまらない。経済界ではトヨタ自動車社長に創業家の4代目、豊田章男氏(53)が就任し14年ぶりの「大政奉還」と呼ばれた。芸能界では2世タレントが続々と輩出され、スポーツ界でも「親子鷹」が生まれるなど、実力差が目に見えやすい分野でも世襲が目立つ。

2030年、つまり20年後の近未来、わが国はさらなる「世襲社会」へ近づいている可能性が高い。その一方で、地方の農家や中小企業では「息子には継がせたくない」「継がせられない」と、自らの代で廃業していく現実もある。

進む職業の固定化

小泉家が政界入りして今年で101年。進次郎さんの曾祖父、又次郎氏は明治41(1908)年の第10回衆院選で初当選した。とび職出身の大衆政治家で、彫り物があったことから逓信相時代は「入れ墨大臣」と呼ばれた。祖父の純也氏は婿養子入りして後を継ぎ、防衛庁長官を務めた。横須賀では親子3代、投票用紙に「小泉」としか書いたことがない有権者が少なくないという。

政治家の世襲論議はこれまで、「選ぶのは有権者」「憲法の職業選択の自由に反する」といった結論で終わりがちだったが、連載では、あえて彼らや他分野の2世たちにこう問いたい。

「20年後、あなたは親を超えられると思いますか」

その答えにこそ、「世襲社会」の本質が映し出されると考えるからである。親の背中を見て育った彼らが、親から良質の「才能」を受け継ぎ、親以上の働きができるのであれば、周囲は納得せざるを得ない。ただ、そうでないのなら、その世襲は「甘やかし」以外の何ものでもなく、他の多くの国民の「職業選択の自由」を狭めてしまうことになる。自由主義社会におけるわが国にあって、より一層の職業の固定化を進めてしまうことにもなる。

昭和47(1972)年、30歳で初当選した小泉元首相は46歳で竹下改造内閣の厚生相として初入閣を果たし、59歳で総理大臣になった。次男の進次郎さんは20年後、48歳になる。「そのとき、親を超えていると思いますか」。進次郎さんに改めて問うと、日に焼けた顔を引き締めて答えた。

「超えるとか超えないではなくて、僕は僕で頑張るだけですから。父は父。僕は僕。ただ、受け継ぐものは受け継いでいきたい」

■消える社会のダイナミズム

小泉進次郎さんは地元横須賀の駅頭で朝の「辻立ち」を続けている。先月末の横須賀市長選では父の純一郎元首相が推した現職が敗れる波乱があった。進次郎さんは「世襲について私がよい、悪いとは言えない。判断は有権者にしてもらう」と語り、改札口へと吸い込まれる人々に頭を下げ続けた。

小泉元首相の地元後援会「一泉会」会長、馬瀬金平さん(71)は「世襲は個人的にはあまりよい気はしない。世の中には優秀な人間がたくさんいる。進ちゃんより優秀な人間はいるかもしれない」としながらも、「担ぐ側の論理」をこう語った。

「選挙の地盤を育成するのは農地を耕すのと同じ。選挙民を泥に例えるのは申し訳ないが、よい議員を当選させるには、何年も耕して何度も選挙を繰り返さなければならない。自分たちは肥料をやって農地を耕してきた。そろそろ収穫だというとき、後任が地盤を継がないとなったら、この農地を何のために耕してきたのかということになる」

一泉会はもともと、元首相の父、純也氏の後援会だった。馬瀬さんは5代目会長であり、昭和54(1979)年の元首相の4回目の選挙から会長を務めているという。

東京大学の谷口将紀准教授(38)=現代日本政治論=は「自民党の一党優位の中、政党でなく政治家が後援会組織を整備してきた。いわば個人企業であり、オーナーの政治家が引退する際は、地盤を譲るほうも担ぐほうも、世襲が一番収まりがよかった。そもそも日本人は2世が好きなのであり、『誰々さんの息子さん』として期待もした」と解説したうえで、近年の変化をこう分析する。

「経済成長が望めない今、担ぐ側も長期的な利益を期待して政治家をじっくり育てる余裕を持てず、すぐに結果を求めるようになった。若い世襲議員を担ぐメリットは少なくなった」

ブランドとの闘い

進次郎さんに対抗し民主党から出馬するのは、弁護士の横粂(よこくめ)勝仁さん(27)。ママチャリ自転車で遊説を続け、「小泉ブランド」を日々、実感している。

「選挙戦とは政策論であるはずなのに、選挙前から投票先を『純ちゃんの息子』と決めている人は多い。進次郎さんというより、巨大な小泉ブランドとの闘いになっている」

横粂さんは愛知県豊田市出身。父はトヨタの部品を運ぶトラック運転手、母はトヨタ生協の食堂の配膳係という家庭に育ち、地元の市立小中学校、県立高校を経て、東大法学部を卒業した年に司法試験に合格した。一方の進次郎さんは、私立関東学院六浦高から関東学院大卒業。米国留学とシンクタンク研究員を経験し、帰国して父親の秘書になった。

民主党本部が世襲批判をねらい、あえて対照的な人物をぶつけた意図的な人選とはいえ、横粂さんは20年後について、いたって真剣にこう答えた。

「世襲の子供だけでなく私のような家庭に育った者でも議員になれる、公立教育だけでなりたい職業を目指せる社会であり続けてほしい。そうでないと、20年後の日本は今の政界のように世襲ばかりになってしまう」

固定化と流動化

世襲とは、実はわが国の歴史につきものでもあり、江戸時代の封建制度や戦前の閨閥(けいばつ)のほうが現在よりもっと根が深かったのではないかという見方もある。

だが、その中でも「明治維新」という下級武士たちによる一種の革命があり、維新後にも司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」で描いた明治という上昇気流の時代があった。戦前には二・二六事件に象徴される軍部の台頭が巻き起こり、戦後には高度経済成長の中、田中角栄氏が土建業から身を起こし頂点へと駆け上った。そうした下克上のような時代が常にあった。

わが国の歴史は世襲と、それを阻止する勢力とのせめぎ合い、つまり社会階層の固定化と流動化の繰り返しだったとも言えるが、今、現代日本にそのダイナミズムは残念ながら見られない。

社会学者らのグループが昭和30年から10年ごとに行っている「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」。直近の平成17年までの半世紀に及ぶデータを分析した東京大学の佐藤俊樹教授(46)=日本社会論=によれば、親から子への社会階層の「世襲度」を示す数値は戦後一貫して下がり続けたが、昭和60年代以降、その数値が「改善」されなくなっているという。

佐藤教授は「戦後の日本は『機会の平等』が保障され、努力すれば何とかなる“開かれた社会”だと信じられてきた。しかし近年、親子間での地位の継承性が強まり、努力しても仕方がない“閉じた社会”として固定化しつつある兆候が見られる」。

いわゆる勝ち組、負け組がより強固になり、何の逆転も期待できない社会では、若者の間で秋葉原連続殺傷事件に象徴されるカタストロフィー(破滅)願望のような衝動が強まる恐れさえある。

平成19年、総合雑誌に一本の論文が載った。「31歳フリーター。希望は、戦争。」。筆者の赤木智弘氏(33)はバブル崩壊後の就職氷河期世代で、正社員の道を閉ざされ非正規労働を続けているという。彼は「私を戦争に向かわせないでほしい」としつつ、こう書いた。

《戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う》

20年後の社会を見据え、改めて世襲について考えてみたい。

「そろばん甲子園」廃止へ  少子化、電卓の普及で

そろばんの産地、兵庫県小野市などが主催する「全国高等学校珠算競技大会」(通称・そろばん甲子園)が8月19日の第55回大会を最後に廃止されることが29日、分かった。

全国の高校生が集まり、そろばんの技能を競う場だったが、小野市は「電卓の普及でそろばんの存在意義が薄れた上、少子化や商業高校の統廃合で参加者数の増加が見込めないため」としている。

毎年同じ時期に、全国商業高等学校協会(東京)が別のそろばん大会を開催していることも影響した。

そろばん甲子園は1955年に始まり、阪神大震災が起きた95年を除き神戸市や小野市で毎年開催。80年代は参加者が600人前後いたが90年代以降減少し、現在は300人程度まで落ち込んでいる。

最後の大会は小野市で開かれ、59校から300人が参加する予定。