なかなか面白い記事だよ。日米の子育て観の違いというより、日本の子育てが戦後60年で大きく変わったことに気づかせてくれる話だ。

日本で子供を「お客様」し始めたのはいつごろだろうか。少なくとも1960年代の農村では子供はれっきとした農作業の労働力であり、農繁期ともなれば一家総出で田植えや稲刈りに励んだ。

しかし高度成長期に入るとサラリーマン世帯が増え続け、職住分離が進み、大半の子供は父親の働く姿を知らずに生活するようになった。子供たちは勉強に専念できるようにと個室をあてがわれ、いつの間にか「家業の手伝い」や「家事の手伝い」を免除される「お客様」になった。

このことが子供の成長にどう影響しているか。この記事が触れているように「お互いに思いやり、助け合うという気持ち」の形成の障害になっているとしたらそれは大きな問題だと思う。

日米子育て観の違い
2009年7月3日    * 筆者 鈴鹿規子

アメリカから日本に留学してきている20代の男性と、住まいと暮らしについて話をした。日本人の家にホームステイした時期もあったが、今はアパートで一人暮らしをしている。

日本人の家庭で家族の一員として暮らさせてもらうのがホームステイだと思ってやってきた彼がまず驚いたのが、家族みんなが彼を「お客さま」として迎えたことだという。朝ごはんから夜寝るまで至れり尽くせりで、親切心はわかるがかえって居心地が悪かったという。言葉が通じ難いというもどかしさもあったようだが、「お邪魔させていただいて申し訳ない」と言う気持ちを持たざるを得ない接待ぶりが彼の居心地を悪くしたのだろう。

アメリカでは、子供も家の中で役目を持っていて、「これはあなたの仕事よ。いくら勉強が忙しくても家族の一員なら自分の役目は果たしなさい」と言われるという。彼がよく観察していると、「ホームステイ先の家の子供はどうも家での役目を持っていないらしい、何の手伝いもしていない」ということに気付いたそうだ。その家の子供さえもお客さま扱いされている。これでお互いに思いやり、助け合うという気持ちが育つのだろうかと、アメリカの家庭教育との違いに驚いたという。

その家の子供も客扱いされているのだから、当然ホームステイしている外国人の彼がお客同然に扱われるのは、その家にとっては自然なことなのだが、家のつくりや、お風呂の入り方、食事の内容の違いより、「文化が違うのだなあ」と感じたのはそのことだったと言う。

アメリカでは、18歳になったら家を出て自立するのだから、その時に何でも自分で出来るように家の仕事を覚えておきなさいと幼いときから言われていたそうだ。ホームステイ先で夕食後「お皿は僕が洗います」と申し出たら「散らかっているからいいの。キッチンに入って来ないで。それよりテレビでも見ていて」と追い返されたそうだ。

昔聞いた江崎玲於奈先生のアメリカと日本の教育の違いについての話を思い出した。

「世の中に出たらこの子も荒波にもまれて苦労するだろう、という認識はアメリカも日本も同じです。その前提を踏まえて、アメリカは、世の荒波に対抗できるよう今のうちに厳しく強く育てておこうと考え、日本は、厳しい未来が待っているのだから今くらい楽にさせてやろうと考えているように私には見えます」とおっしゃっておられた。サバイバル能力をいかに身につけさせるか、それには、自立できる生活能力を身につけさせるのはとても大事なことと理解した。

「自立させるために一人一部屋の子供室を与える」という話はよく聞くが、果たしてそれだけで子供は自立した人間に育っていくだろうか。子供室の掃除、子供たちの衣服の洗濯、調理・後片付けなど全ての家事に子供を参加させないでどうやって子供を自立した人間にするのだろうと、アメリカからやってきた青年と話していて思った。

対面式キッチンが普及して、夫や子供たちとのコミュニケーションがよくなった、彼等がキッチンに入ってくる回数も増えたと喜ぶ声を主婦からよく聞くが、まだまだ家事を分担しあう、助け合う、それぞれに育っていく、というところまでは行っていないようだ。

子供には6畳程度の子供室がそれぞれにあり、夫婦は二人合わせて6畳~8畳、ここにも子供を優遇しすぎている日本の現状が垣間見られるような気がする。

住まいを考える前に、家族としてのそれぞれのあり方を問い直す必要があるように思った留学生との対話であった。